この国では、お母さんをアンマーといいます。
みんなアンマーが大好きです。
びっくりしたときの「Oh My God」的なフレーズも「アンメー」(アンマーの変化形)。驚くときまでお母さん。
思春期なんて何のその。
カトラリーを使わず手でご飯を食べるこの国では、手が汚れるのがヤダという理由でご飯を食べない身長170cmを超える高校生に、お母さんが手で「はーい、お口あーんしてーー」っと、ご飯を食べさせるのはよく見かける光景です。(これが不思議なことに娘にしてる姿を見たことがありません。)
ご飯だけなく、子供の服を着させたり、学校の準備をしたり、送り迎えでは親が子供の荷物を持ってあげたり、と日本では考えられないほど過保護です。
そして(だから?)お父さんお母さんのいうことはすべて。基本的に反抗しません、まぁ反抗期がないからね。
大家さん宅でも朝6時から、次女はたたき起こされ、全員分の紅茶を作らされます。たぶんこれが息子ならさせられてない。
紅茶をつくると、次はココナッツを削る作業。文句をいいながらもちゃんとする娘。エライ。
しかし、お母さんが教育者だからか娘しかいないからか、上記のような過保護な姿をこの家ではみたことがありません。
そしてこの次女チャラニーは、わたしが知ってるこの国の他の娘たちより、少し反抗的、そして感覚が自由で、わたしはスキです。
女子はみんなそろってロングヘア、高校では三つ編おさげ、どこをみても同じ髪型のこの国で、内緒でストレートパーマをかけたり、きっちゃダメといわれている前髪を切ったり、ホワイトニングのためにヒヨコ豆の粉を水にとかしてパックしたり(笑)…ちょっとずつ冒険します。
そんなチャラニーと長女イマルカとお茶を飲んでいるとき、チャラニーとアンマー二人で出かけた時の話になりました。
ストパをかけたことも前髪を切ったこともすでにアンマーにはバレていて、一度叱りつけたものの、再度それを目にすると、
「この子はストレートパーマなんかかけて」「前髪をきってしまってなんて醜いの」
とか、ちょこちょこチャラニーに怒るそうです、それも他人に聞こえるような大きな声で。
もうチクチク言われることに嫌気をさしているチャラニーは、髪をまとめたり、バスなどでアンマーと並んで座るときは、前髪を止めている左側が見えないように左側に座ったりしたそうですが、それでも時々見える短い髪の毛に、
「ストパーなんてかけて…短い髪の毛はいつ伸びるのかしら」
と大きな声で言ってくるので、
『「わかったわかった。叱るのはいいけれど、小さな声にして!!」と何度もいったの!!』
とチャラニー。
しかしそれでも止まらないアンマーを見ていると、その状況自体が滑稽に見えてきて、チャラニーは笑ったそうです。すると
「人が怒ってるときに何で笑うの!?」
とさらにアンマーの怒りは増し、本当に面白かったー、とゆー話。
それを聞いて、わたしも同じような経験があったので、思わず笑ってしまいました。
わたしも小さい頃、母に叱られているとき、とっても反省しているにも関わらず、その状況自体(母親がわたしにとても一所懸命に叱っているのになんだかそれを冷静にみるわたしがいるということ)がおかしく思え、抑えきれずくすくす笑ってしまい、
「お母さんが怒ってるときに何がおかしいの?!」
と、さらに母を怒らせたことがよくありました。
こんなクズみたいな子供は私だけだと思っていたのですが、チャラニーの話をきいて、「なんだ、わたしだけじゃなかったんだ」と、昔を懐かしく思いました。
そんな出来事の後、たまたまEvery Child is Special -Taare Zameen Par- というインド映画を見ました。
歌って踊るインド映画ではなく、ディスレクシアの少年の話なのですが、その少年がお父さんに叱られているときにクスッと笑ってしまう、という一場面があり、それを見た時にも昔の自分を思い出しました。
なんだか遠い昔の同じ記憶を2度立て続けに思い出して、なんだか不思議な気分でした。
そして、もしかしたらわたしもアインシュタインみたくものすごい能力の持ち主かも?!…と32歳にしてまだ見えないポテンシャルを期待してしまいました。笑
というわけで、お母さん、悪気は全くないんだけど叱られて笑ってしまう子供は、他にもいるみたいです。
そして、わたしも日本で母と電車に乗ってしゃべっていると、母の声がどんどん大きくなってゆき
「声!」
と、よく注意をしていました。
「そんなに声大きいかなぁ。ふふふっ」
反省のない母。
どの国でも歳をとると、自然と声が大きくなるようです。
お母さん、公共の場での声のボリュームには注意を。