少し前から入退院を繰り返していた大家さんの親戚のおばあちゃんが先週お亡くなりになりました。
親戚ってどんな関係?って聞かれても…わかりません。一回聞いたけど忘れるくらい遠いことだけは確か。
この国では「おばあちゃんのお姉ちゃんの旦那さんのお父さんの弟の息子」みたいな関係でも親戚なので、町を歩けば親戚に当たる、国民みんな家族なのです。
遠い親戚であることは確かなのですが、親戚という以上に亡くなったおばあちゃんの息子(おっちゃん)と大家さんがとても仲がよく、数年前大家さんのお母さんが亡くなったときにとても助けてもらったらしく、そのおばあちゃんが亡くなる前から大家さんの奥さんは毎日病院にご飯を持って通っていました。
というわけで、亡くなった日から約1週間、大家さん一家はてんやわんや。もれなく私もそのてんやわんやにつき合わされました。
まず、こちらの葬式はとにかく長い!! 1週間ほど続きます。
それもとても盛大。毎日数百名単位の慰問客が訪れます。
ざっとした流れは、
亡くなった次の日(2日目):日本と同じくお通夜的なもの
3日目:通夜的なもの
4日目:葬式当日、坊主が10数名来て読経・説法
5日目6日目:特別なことはありませんが、その後にくる初七日的な日のためにご飯などの準備期間
6日目:夜に坊主一人が来て読経・説法
7日目:一連の葬式セレモニーの中でも規模的には最大となり、坊主が十数名来て読経・説法
それでとりあえず葬式は終了です。
この1週間、日本のそれとは異なる点は多々あるのはもちろんのこと、いろいろカルチャーショック!を受けたので、こちらの葬式をお見せしたいと思います。
まず服装。日本は喪服といえば黒、もしくはダーク色の服、キラキラはタブー、ですが、こちらでは喪服といえば白。逆に黒はタブーです。(満月の日などお寺にいく時も白が基本。なんでだろ、ピュアになれ、ってことかな。)
場所は自宅。お寺ですることはないと思います。
葬儀屋もおそらくいません。自分たちで全部します、というか親戚や友人たちが全部します。喪主は何もしてはいけないそうです。日本の田舎はいまでもそうなのかな。
まず2日目のお通夜的なものから。
※注意※
この後、死人の写真がちらっと出てくるので怖い方はここで読むの、やめてね。
会場となるおうちの前。
先程もいいましたが、毎日数百人の慰問客が訪れるので、基本アウトドア。この国が常夏で本当によかったと思います。
白いテントや椅子はレンタル。今回は何かの協同組合から借りていました。
おうちに入ると、
ででーんとお姫様ベッドがあって、おばあちゃんが永眠されています。
この部屋に入った瞬間悲しい空気が流れましたが、外からきゃっきゃ笑う声が聞こえ、一瞬にして飛んでいきました。
この光景を見て、母方のひいおばあちゃんのお葬式で坊主が読経中、親戚のおば樣方は大きな声でしゃべりすぎて、「うるさい!静かに!!」と読経を中断してまで叱られていたことを、思い出しました。
ちなみに写真はバシバシ撮っていいそうです。
ちょっと離れたところから撮っていると、「もっと近づいて撮っていいよ」と言われました。そうは言われても近くでパシャなんてできないし、そんな写真後で見ても…と思いましたが、確かに大家さんのおばあちゃんの葬式写真を見せてもらったとき、お棺に入ったおばあちゃんの写真や、泣いている家族の写真などたくさんありました。人によっては結婚式のようにプロのカメラマンを雇って写真&ビデオを撮るそうです。
話は戻って… これが午後8時すぎ。
そしてこの後が長い!!
おもてなしと紅茶の国ですから、何がなんでもお茶は出さないといけないのです。
わたしはみごと”お茶ガール”に任命され、約1時間に渡り配茶。
日本人がなぜこの田舎のばあちゃんの葬式に!?それもお茶出すって親族?!ってそりゃ思いますよね、お茶を配る先々でいつもの定番Qをされ、無駄に時間がかかりました。
お茶を飲んだあとは、ダラダラと慰問客たちは知り合いたちと話をしはじめ、午後9時頃から、
晩ご飯。数百人分のご飯を、昼から作り続けていたそうです。
もちろんわたしたち(もうわたしもone of 親族 です)はご飯を追加したり、お皿を洗ったり、ずっと働きつづけ、ご飯にありついたのは11時前。もうくたくたです。
結局この日、帰宅の途についたのは12時半でした。
さいごに、よくうちにもくるダンミカおじさん。
ダ:「オレを撮れ!」
私:「とるのはいいけど顔疲れてるよ…」
ダ:(撮った写真をみながら)「ほんとだ…」
この後、おじさんの顔はどんどんやつれてゆき、最終日は目が真っ赤でした。
おつかれさまです。
葬式②につづく。




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