2014年2月5日水曜日

年頃の子供たち


最近よく一緒に仕事をする同僚、クマーリさんには8年生(14歳)の娘さんと3年生(9歳)の息子さんがいます。
クマーリさんの旦那さんは小学校の校長先生だったのですが、1昨年前心臓麻痺で急死されたらしく、女手一つで二人の子供を育てていて、「お父さんの仕事もお母さんの仕事もあるから大変」てなことを時々話しています。

そんなクマーリさんが先日「警察にいかなきゃいけないから少し遅くなる」といってたので、なんだろうなぁと思っていたら、
「娘に変な男の子がつきまとっているので警察に相談しにいってた」と。

確かにこの国の男の人、というかこの国の人は、すぐに電話番号を聞く、「そんなこと初対面で聞く?!」とビックリするような質問をしてくる、家を探して突然訪問してくる…と、とにかく驚くほど他人との距離感が近くて、これが想いを寄せる女子への男子となると、昨今の日本の草食男子に見習ってほしい程ですが、”積極的な肉食的男子(を過激にした感じ)”となるのです。

「何されたの?」と聞くと、
ク「ラブレターを渡されて、"おうちに会い行っていい?(会いにいくねという意をこめた言い方)"っていわれたらしいの。娘は、”本当に家にきたらどうしよう”ってとってもびくびくしているの。」と。
相手は別の学校に通う10年生の男の子らしいのですが、なんとも微笑ましい!と思ったのはわたしだけではないはず。自分の中学時代を思い出すと、そんなことよくあったのになぁ。
好意を寄せてくれる子がうちまで会いに来てくれて、ただちょっと話をして帰っていく、とか、告白される、とか、はたまた自分が好きな子のお家をただ見に行くだけ、とか…
そんなこと、当たり前に思春期の子供たちみんなが通る道だと思っていたのですが、お国が変わればそんなピュアな想いもストーカーと扱われるようです。
その男の子のお父さんの職場を探し出し、「お宅の倅、うちの娘に…」と苦情をいいに行ったそうです。そして警察でもその男の子は危険人物扱い。なんだかかわいそう。

私「ステキな想いじゃないの!好きな子にラブレター渡すとか、好きって伝えるとか!娘さんがかわいい証拠じゃない!日本でもそのくらいの年頃の子にはそういうことよくあるけど当たり前だよ。」
ク「だって娘はまだ幼いのよ!」
私「幼いってもう中学生でしょ。じゃぁ、この国では好きな子が出来たらどうするの?ただ好きだなーって思っておしまいなの?!好きっていっちゃダメなの?!」
ク「娘くらいの子たちは好きになったりしないのよ。」

”お母さんよ、そんな訳ないやん、昔の自分を思い出してごらん” と思いましたが、その後、
ク「娘が、”お母さん、わたしがもっとかわいくなかったらよかったのにね。男の子みたいな顔だったらこんなこと起きなかったのにね”っていうの。きっと周りの友達が、”あんたはかわいいからねー”とか言ったからだと思う」
だって。
14歳でこの発言、むっちゃピュアーーー。
今日日の日本の中学生だったら、わたしたちの時代よりももっとマセてると思うけれど、この国の子供はまだまだ子供のようです。
それなら、親が「14歳なんてまだ幼い。恋愛なんてまだまだ」っていう気持ちもわかるかな。

結婚を前提にお付き合いをする前に、これまでの恋愛遍歴を相手に伝えなくてはならないこの国。
全てを親に話さなくてはいけないこの国。
こんな国にいるのもあと45日です。



2014年1月27日月曜日

デンマークから。


年末に学生時代の友達、カトリーナと弟のマーチンが来てくれました。
彼女とはデンマーク留学中に仲良くなり、3年前にわたしがデンマークに遊びにいった時にも家に泊めてもらったり、今でも連絡をとっている親友の一人。カトリーナとの久々の再会がなんとこの国とは予想外。

彼らはほかの町を回ってから最後に南海岸へ来て、一緒に数日間過ごすことになっていて、宿泊するゲストハウスで待ち合わせにしました。
ベビーフェイスのカトリーナは3年前に比べて大人っぽくなっていて、なんだか「わたしたち、歳取ったね」って感じでした。

再会したのは12月24日、クリスマスイヴ。
クリスマスといえば、北欧デンマークでは家族と過ごす大切な日のはず。
「こんな仏教国にマーチン(弟)と2人で旅行してていいの?ご両親、残念がってない?」と聞くと、
「お父さんとお母さん、去年離婚して、クリスマスは誰が誰とどこで過ごすかってもめたからマーチンと相談して二人で出てきたの。そんでもってわたしたち、今キリスト教徒じゃないから。最近ふたりして脱退したの。だから宗教税も払ってないし結婚式は教会じゃなくてCityHallであげるんだよ。」って。
ずーーーーん。再会してすぐに、なんとなく重い空気が流れてしまいました。苦笑

久しぶりのデンマーク語はビックリするほど聞き取れず、ちょっと悲しくなりました。初日は言ってる事わかっても単語が出てこず、英語で返答することが多かったのですが、2日目からはできるだけデンマーク語を使ってもらいました。

出会ったときは21,22だったわたしたちもいまやover30。
大学を卒業してから就いた仕事やこれからのキャリアについて、恋愛について、生活について…
お国は違えどアラサー女子の抱える問題は同じで、むちゃくちゃ共感してしまいました。
ひとつ違うのは「子供はいるけど未婚の友達がほとんど」という言葉。事実婚が存在する国は国でまた違った問題があるようです。
そしてビックリしたのが、同級生たち(デンマーク人)に同性愛者が多かったこと!!卒業後に目覚めた人が多かったみたい。そのほかにも、同級生が映画監督や建築家、アーティストとして成功していることを聞いて、やっぱクリエイティブでぶっ飛んだ子たちが多かったね、と二人して思い出に耽っていました。

24日の晩には3人で海岸沿いのレストランでシャンパンを飲んでクリスマスのお祝いをし、次の日は観光。
私もいったことない、日本寺といわれる日本山妙法寺に行ってみました。


カトリーナとストゥーパ。

ダウンタウンのハマちゃんを思い出すのはわたしだけ?

ロンプラには乗ってるけど歩き方には乗ってないビーチ。
その名もジャングルビーチ。

ゴールからコロンボへの移動はfirst classの列車で移動!

expressとslowがあります。出発時間がアナログ表示。

first classだけwifi-free付きで、テレビも車両前方についていました。
乗客は観光客(外人)のみ。
second classで180ルピなのに、firstは970ルピ!!!(1ルピ=0.78円)
もう現地人並の金銭感覚な私は、チケットを買う時にビックリして「secondが180ルピでfirstが970ルピだって。どうする?!」と二人に確認すると、さすが物価が高い北欧からいらしたお二人、「firstで970ルピ?安いね。firstのろう!!」と即答。
「ん、う、うん。だよね」と私。あー日本の帰国が怖いなぁ。。。

ミルクティとマーチン。
日本の電車みたいに机はついていないので、車椅子の方に使うようなテーブルが設置されました。本当は有料のサービスだけど、座席の場所でもめたので、これは無料でいただきました。

コロンボでは、まずはジェフリーバワがデザインしたお寺へ。
ちょうど結婚式が行なわれていました。始まったところだったからいろんな儀式が見れてラッキーでした。
あとはindependence squareへいってダラタラしたり、お土産を買ったり、アーユルヴェーダマッサージを受けにいったり。。。
バタバタせずゆーっくり過ごしました。

別れ際に、「来年か再来年にはまたデンマークで会えそうだね。新しい店もたくさんできたし、次は●●に案内するね」と約束をしたので、行かなきゃです。
日本からだけではなく、こうやってデンマークから会いにきてくれる友達が出来たことに本当に感謝。気の合う友達はいつまでも友達ですな。


そしてもうひとつ感じたこと。
もうわたしは結構現地化してしまっていて、金銭感覚もですが衛生感覚もおかしくなっているのでしょうか。
二人は”手ぴかジェル”みたいな消毒ジェルをことあるごとに頻繁につけ、この国にきてから私に会うまでの5日間でデンマークから持ってきた大きな虫除けスプレーを使い果たしていました。笑
わたしも旅行者ならこんなんやろなぁ、と思うと、日本に帰国してご飯を食べにいったときにお箸じゃなくて直接手で取ったり、靴をはかずにちょっと外に出たりしそうで、リハビリ週間が必要になりそうです。


2014年1月15日水曜日

ある日の出来事 -バス編-


あと帰国まで●●日、とカウントダウンする日々です。
同僚や大家さん、まわりのいろんな人たちも「あと少しでわたしたちを置いて日本に帰っちゃうんだね。もっとここにいれないの?」と毎日のように言っていて、完全に帰国前モードです。
「はやく日本に帰りたい!」とずーーーっと言い続けてきた私も、なぜか「あともう少しで ”日本に帰ってアレもしたいコレもしたい” といってたことが実現するのかぁ」とうれしいような寂しいような…。何コレ!?こんな気持ちいままでなかった。イヤよイヤよもナントカってやつ?!自分自身、何だか複雑な気持ちが理解しきれてません。

その一つの理由が、”最近腹立つことがあまり起きず、むしろこの国がよくに見えてきた” ことにあります。

この国がよく見えた出来事、それはある日バスの中で遭遇したました。

その日わたしは運転手さんの後ろの席に座っていました。
バスが出発間もなく、左ミラーの不調を運転手さんが車掌さんに伝えて、信号待ちで外に見に行くように指示しました。車掌さんがキュキュッと調整していると、ポロッ。左ミラーが鉄の劣化でポロっと取れてしまいました!
車掌さんは「やっちまったー(テヘペロッ)」って顔。一方運転手の顔は「やりよったなー」って顔。表情と表情の会話。
なんだかその光景がとても滑稽でひとり笑ってしまいました。
 
そして取れたミラーを車掌さんがサイドブレーキ横のフリースペースに置いて、何事もなかったように再び走り出しました。(取れたミラーはまた溶接工場に持っていって取り付けれるのでキープしていた)
ちなみにこんなことは日常茶飯事です。目視できたらいっか、てくらいのレベルです。危ないよねー。

しばらくするとバスはいっぱいになってきて、サイドブレーキ横のフリースペースにある簡易席まで人が座るまでになりました。
その席に座ろうとした女性が、取れた左ミラーの鏡部分にステップインしてしまい、バリッ!ガラスが割れてしまったのです。
割ってしまった女性は「あっ」って顔。それを見た運転手さんと車掌さんは顔を見合わせて苦笑い。その二人の顔がもうなんのって。笑「弁償してっていいたいけどいえない…どうしよう」って顔が100%言ってる!笑笑
しかし最後まで運転手さんも車掌さんもその女性には怒らずに弁償請求もせず、女性は「ほんとうにごめんなさい」と言って降りて行きました。

この出来事ってこの国をとても表しているんです。わかりますかね?
みんな根がすごくやさしいんです。
はっきりとモノが言えない。
怒ることも怒られことも得意でない。

小さなイライラ、ストレスはそりゃあるけれど、こういった出来事をみると、なんか憎めなんですよねー。

まぁ日本ではミラーが取れた時点でバスは停まるし、むしろ「お客様お怪我はありませんか?」って言われるんですかね?
でもね、日本よりもモノが無くって生きていくことで必死な状況なのに、こんなにも人にやさしくいれてることがステキ、と思ってしまうわたしの感覚はおかしい?麻痺してきてるのかな?

そんなこんなであと65日くらいで帰国です。


2013年12月31日火曜日

大晦日


ですね。
新年が1月1日ではないこの国では12/31だろうが1/1だろうが関係なし。

日本の年末年始は、冬で寒くて新年に向けてブルブル震えながら大掃除してバタバタと買い物に走ってお父さんと家でお酒飲んでちょこちょこチャンネル変えながらテレビみて、元旦は遅めの朝から食べて飲んで気が向いたら近所の神社いって…お母さんと新年セールへ向かう、のがベーシックコースなのに。
留学したり年末年始の休みを使って旅行をしていたこともあるけれど、どこも寒かったし、何となく一年の始まりを感じてケジメを付けれるタイミングでもあったけれどここは常夏で肌で季節の移り変わり、時の流れを感じないせいか、いつの間にか時間が過ぎている。そしていつの間にか年も越す。

ワタシニホンジン、ニホンデハアシタハシンネンデス。シンネンハトクベツナノデヤスミマス!
といって、休みを取りました。
そしていまから現実逃避すべくリゾートホテルに駆け込みます。


今年を振り返ると、たくさんの人に会いにきてもらえました。

年末年始を一緒にすごしたあさこちゃんとみか、
3日の弾丸トラベルだったさいとうくん、
この国訪問7度目だったなっちゃん、
デコボコな組み合わせだったけどずっと笑ってたさやとじょー、
忙しい中リゾートだけのために来てくれたヒロコ、
ついに世界遺産の撮影で来てくれたりょうへい、
シンガポールから短パンリュックで登場したしょうくん、
鼻の皮がむけたサーファーはっしー、
ハネムーン先にこの国を選んでくれたみっちゃんとやす、
出張先インドから癒しを求めてきたじゅんぼー、
デンマークから会いにきてくれたカトリーナとマーチン、
そして久々の海外旅行としてはレベルが高かったはず、おとうさんおかあさん、

ほぼ毎月誰かが会いに来てくれてる!
軽い気持ちでやって来れるような場所じゃないのに、こんなにもたくさんの人がきてくれたってすごいことだと思います。
大学時代や留学時代の友達がほとんどなので、一般の人よりも国境が割と低い?っていうか、みなさん、とってもフットワークが軽いおかげです。
来てくれたみなさん、本当にどうもありがとうございました!
まだのみなさん、お待ちしております。
あと帰国まで80日ほど。

今年も遠い日本から応援してくれたみんな、どうもありがとう。


良いお年をお迎えください。

 

2013年12月27日金曜日

北部出張 Vol.2


キリノッチの町にある他の幼稚園も見に行きました。

もう当たり前となったアポナシ訪問でしたが、子供たちはみんな元気に「ワナッカーム」と元気に挨拶をしてくれました。
そして写真にいる赤いサリーのいかにも怖そーな先生によって無理矢理、即興ドラマをして見せてくれました。
たぶんですが、〜2人がけんかしているのをもう一人が仲裁にはいってみんな仲良くなる〜って話なようでした。

緑色の男の子と右の男の子がけんかをしている様子。

そして最後にみんなで歌を歌ってくれました。


わたしが住んでいる地域の幼稚園にも何度かいったことがありますが、この幼稚園とあまり違いはなかったように思います。強いて言えば、わたしの住んでいる町の子供たちは学校へ行く際はサンダルではなくちゃんと靴と靴下をはいていること、くらいかな。
そしてちょうど訪問したのは12時前で、給食を食べているところでした。献立は”豆とイモのたいたん”。
「ランチを持ってこさせないの?」と聞くと、「お家によってはご飯を持って来れない子供もいるので」とのこと。
わたしの住む地域ではどこでもランチを持参させていて、その中でもしっかりした幼稚園では月曜日はヌードル、火曜日はライス…など、幼稚園から内容の指定をして栄養が偏らないようにしています。
ちょっとの差ですが、その小さな差が”余裕”なのかもしれません。


キリノッチから東部の町、ムラティブへも行きました。

ムラティブもキリノッチ同様、内戦の終盤まで激戦地となっていたた地域で、いまだに軍が占領している地域が多く、元いた場所に戻れないひとびともたくさんいるそうです。地雷撤去作業もまだ続いています。

カメラを向けることを躊躇したため写真はありませんが、いまは廃墟となった銃撃戦の痕跡が残る壁が残っていました。幹線道路から少し入ると、未だヤシの葉やトタンで作られた家がたくさんあります。

今回お世話になった団体は、ハウジング事業もたくさんされています。
わたしの地元、神戸でも地震後、家をなくした人たちへの住宅支援で、元いた場所から遠く離れた復興団地に移り住まわされる、特に高齢者は新しい環境への順応が難しくこの世を後にするなど、たくさんの問題がありました。顔のみえない相手から与えられたものには愛着が湧かず大切にできないんですよね。
この団体は、"パッケージ"タイプを出来るだけ作らず、支援対象者にデザインを決めてもらって好きな家を作ってもらうそうです。そうすると愛着が湧くし大切にもする。時間も手間もかかるけれど、相手のことを考えた支援っていいです。

いま工事中のお家を見せてもらいました。
いま工事中のおうち。3DKのこのお家はおじいちゃんと息子家族の4人家族でした。
このお家は、平均的な支援対象者よりも収入が見込めるため、平均よりもいいおうちを作っているそうです。

いま住んでるうち。この地域にはこんなおうちがたくさんあります。
ご主人はとてもうれしそうに工事具合などを説明してくれました。
建設の際に気をつけるべき強度などの建設方法についても、指導していました。
復興住宅のようなスキームに強制的に入れられたりパッケージタイプのおうちを譲渡されるよりも、こうやって計画や工事に参加することでこの経験も住民にとって財産になるんでしょうね。


しかしビックリしたのは、道路の舗装具合。わたしがいる町よりよっぽどキレイ。

最近完成したキリノッチ−ムラティブ間の幹線道路。
そしてこの幹線道路のいたるところに、支援を受けて建てられた施設と支援機関のマークが入った看板がありました。
これらもわたしのすむ地域では見れない光景です。

まだまだ厳しい生活を強いられる人々がいる一方で、こんなにキレイに舗装された道も存在する。まだうまく話せないけれど複雑なカンカクでした。
しかし復興にはインフラ整備が重要です。この道から復興が更に急ピッチで進むことを祈っています。


2013年12月23日月曜日

北部出張 Vol.1


北海道の4分の3くらいしか面積のないこの国では、2009年まで内戦がありました。
ざっくりいうと、南西部(政府軍 シンハラ人)vs北東部(LTTE タミル&イスラム人)って感じです。※LTTE: タミル・イーラム解放のトラ
北東部が主に内戦の舞台となっていたので、南西部に比べて発展が遅れています。そしてインフラ整備の復興だけではなく内戦で被害をうけたひとたちのこころとからだのリハビリテーションも現在引き続き行なわれています。
多くの国から北東部復興を援助する動きがあるものの、政府は「北東部ばかり援助しないで南西部もまだまだ貧しいんだから、北東部を特別扱いするな」と主張しているらしいです。なので、北東部を援助するプロジェクトの名前をつけるときにも”復興”ということばは使えないんだとか…。確かにどの地方にも貧しい人々はいる、でも全体的にみると北東部はやっぱりいろんな面で内戦の影響を受けているのは、一目瞭然なんだけどなぁ。。
「タミル人やイスラム人ばっかり気にして…」っていうシンハラ人の嫉妬みたいな感じでしょうか。なんだかなぁって感じです。
 
その北東部で多くのプロジェクトを行なう団体と一緒に少しお仕事をさせていただくことになり、キリノッチとムラティブへ行ってきました。
なかなか北部へ行く機会がなかったので、帰国まで3ヶ月となった今が初となりました。
「キリノッチとムラティブに行ってくる」と同僚(シンハラ人)にいうと、「へー行ったことない」という人がほとんど。その言葉はいまでも少しどこか遠い場所のように感じているようでした。

LTTEによって破壊された給水塔。 
キリノッチはLTTEが最北端の町ジャフナを政府軍に制圧された後、LTTEの根拠地となり、LTTEと政府軍による奪い合いがさいごまで繰り返され、多くの犠牲者を出したところ。
政府軍にキリノッチを奪還されそうになった際、街のインフラの象徴(?)でもある上の写真にある給水塔を破壊したそうです。インフラを壊すなんて誰にもいいことないのに。まぁそもそも内戦自体誰にとっても有益ではないんだけれど。
そして、この給水塔は政府(軍)によって「LTTEはこんなに悲惨なことをした奴ら」と見せしめに今でも残されているそうです。
この隣にあるお土産屋さんにいる売り子も軍人。このお土産屋さんでキリノッチTシャツが販売されています。お値段Rs.350也。わたしも一枚getしました。気に入ってます。


今回わたしが参加したのは、コミュニティー開発の中の幼稚園建設。前職で木工家具を扱う仕事をしていたことを風の噂で聞かれた担当の方からお声がけいただいたことがきっかけです。
その団体が使う支援の資金源は日本のODA。そうです、わたしたち日本国民が支払った税金の一部がこうやって、海を越えて厳しい生活を送る人たちのお手伝いに使われているのです。

今回は初めて参加させてもらうこともあって、幼稚園関係だけではなくコミュニティー開発に関わるミーティングにも同席させていただきました。
まずは現在使われている幼稚園を見学に行きました。
30人の生徒がいるそうですが、この日は8人のみ。「何でみんな来てないの?」と聞くと、「雨が降ったら水浸しになるので親御さんが嫌がる、そもそも雨だと来れないし」と先生。

外観。壁のコンクリートもボロボロ。この隣に新しい幼稚園をつくります。
葉っぱで作られた屋根は穴ぼこだらけ。雨の日は水浸しになるそうです。
上をみると穴ぼこだらけ。この日も子供たちは雨漏りしない場所に固まってただ座っていました。

この団体の支援方法は、まずコミュニティーミーティングに参加し、このコミュニティーに必要なものはなにか、を議論してもらうそうです。ただただ「はいどーぞ」と寄付するのではなく、必要なものをみんなで考え、それをどんなサイズ・形にし、建てたあとは誰がどのようにマネジメントするのか、そして今回のような幼稚園建設の場合は幼稚園の先生のためのトレーニングなどソフト面の支援までされているそうです。
今回見学した幼稚園の建て替えは、コミュニティーが「日中は幼稚園、週末は自治館として使える建物」を希望したことから決まったそうです。

開発支援ってとても難しいといつも感じていて、”援助慣れ”と言われる言葉があるように、やり方を少し誤ると「もってる人がいるんだったら助けてもらって当たり前」と取られる可能性がある。それはお金でけではなく技術でもそう。”与えられた”ものは大切にしない、自主性を持ってもらわないと後に続かない。
なのでアプローチの仕方、プロジェクトの運び方がカギだと、つまり人と人のつながり方、人徳の力がモノをいうんだなぁといつも思います。

長くなったので、続きはまた。


2013年12月20日金曜日

父母が。vol.3


もうかれこれ3ヶ月前のことなのでそろそろ終わらせます、父母との旅について。
ちょっとはしょりながら。

到着から4日目。
朝飯はビュッフェではなく3種類から選べたので、わたしたちは全員アメリカンもしくはコンチネンタルに。
食事が始まる前に必ず聞かれることば、「紅茶にしますか?コーヒーにしますか?」
わたしはこの国のコーヒーを信じていません、たとえ高級ホテルであっても。そして今まで何度も「コーヒーにしようかな」という父に「いや、やめたほうがいいで。泥コーヒーやで」と何度も言い続けたにも関わらず、何度も「コーヒー」を頼む父。そして何度も後悔する父。「だからいったやん、この国では紅茶を選ばなあかんのよ」と何度もいうわたし。この日もこの会話がありました。
朝食のパンがとってもおいしかったです。Jetwing系列はパンがおいしいところが多いのがgoodです。

朝食をゆっくり摂り、向かった先は母邦子のリクエスト、ポロンナルワ。私も今まで行ったことがなかったので初訪問。
観光客にやさしくない国なので、この遺跡も超高いのです。わたしはレジデンスカードを提示すれば半額になるのですが、そのカードをホテルに忘れるという失態。現地語を無駄にしゃべりまくって"ココに住んでるよ"アピールをし、どうにか半額にしてもらいました。ドライバーさんにも飽きられる始末。

遺跡にいってからはこんな感じ。

最初のほうなのでまだ父修一も元気な様子

中盤。遺跡的には見所。写真にはないけど飽きた様子の父修一。

最後のクライマックス。
これを見終わったときには時間が押してて夕方のサファリまで時間がない!パンを買って車で食べながら向かった先は、ミンネリア国立公園。
ここでもレジデンスカードがないため、現地人価格にしてもらうのに交渉。最初はダメの一点張りだったチケット売場の人も、根負けして現地人価格にしてくれました。こういう時、この国の適当さをありがたく思います。

いい時期に来たようで、ぞうさん、むっちゃおる。そして近い!
父修一が持ってきてくれた一眼レフのおかげでとても良い写真が撮れた!と思ってたけど、後でみたら残念な写真が多くて、自分のセンスのなさにゲンナリしてしまいました。

こどもがたくさん。

象の大移動する前をジープで横切りました。ちかいっ!!
何度もぞうさん見てきたけれど、今回も感動しました。結構ぞうさんが好きみたいです。
そして何より父も母も喜んでくれたことがよかったです。

この日はたくさん歩いてとても疲れたようだったので、夕食は部屋食に。父に持ってきてもらったおいしいワインも飲めたし、ゆっくりしゃべれたし、なんだかよかったです。


5日目。
この旅一番のクライマックス、シーギリヤロックへ!
母は超すーぱー行動派で体力もあるので心配していなかったけれど、父が果たして無事頂上まで登れるか、わたしはとても心配でした。

ガンバルゾ!おー!を表現している母。
ゆっくり休みやすみ上がれば大丈夫。時間をかけていこう!と思っていたのですが、予想外にあれよあれよと頂上までいけました。
父自身も「不安やったけどいけたわ!よかったー」と。いやいやいや、わたしのほうが絶対不安やったよ。


頂上の元宮殿があったりしたところ。ミニマチュピチュ。

降りていく。高所恐怖症では無理です。
下りていくのも膝が笑っている様子もなく、ホッ。数日後に筋肉痛になったかは…知りません。なったのかな?

そして楽しみにしていたVilUyanaホテルをチェックアウト。ここからぐっと南のゴールまで下ります。
ちょっと遠いかな、とも思ったのですが、Galleの旧市街地を見せたかったし、何より日本のODAで作られた高速道路を父に見せたかったのです。父の働いていた会社は関与してないけれど、同業だし興味あるかなぁと思ったのですが、夜になって全然見えませんでした。
しかし…
予想でも6時間はかかるだろうと思っていましたが、ドライバーさんが気を利かして挑戦した近道で迷ってしまい、結局通常使う道でいくよりも時間が掛かり、この日泊まるホテルに着いた時には8時を越えていました。
そしてその道中で一悶着。
日本のようには事が進まないこの国で予定を組むのは至難の業。(途上国に住んだ経験のある人なら多分わかってくれると思います) わたしも昔はとてもパンクチュアルでしたが、こっちにきてからよく言えばオオラカに、悪く言えばルーズになりました。
日本の感覚、特に日本でも予定を組んでその予定に合わせていろいろダンドリを組みたがる父(いえ、おそらく一般的な日本人)にとって、何かと予定通り進まず居心地が悪かったんだと思います。この日も、父はトイレが近いこともあり「●●までは何時間かかるの?」とよく聞いてきました。私も父の言っていることは理解はしていたつもりだけれど、正直わからないこともあるしどうにもならないことも多い。ドライバーさんに「あと○○までどれくらいかかる?」と聞いて返ってきた答えもテキトウなので信じれない。
このシチュエーションへの不満、お互いへの不満が積もり積もって、プチッ。
冷戦。
わたし大人ですから言いません。とても悲しくなりました。遠路はるばる来てくれて感謝している、だけどわたしも来てくれるまでいろいろ考えて立てた計画なのに、なぜここまで文句言われないといけないのか…と。
へんな空気のまま夕食へ。そして心労からか、こちらにきて全然なかった胃の痛み、胃潰瘍の痛みが…。あれ、ストレス?!笑
こんなところまできて、母が仲介に入ってくれました。どこにいっても潤滑油となる母。すごいです。ありがとう。
(わたしたち家族を知っている人ならもう想像つくでしょ。その画のとぉーーーりです。笑)

6日目。
さいごの2日、泊まったのはココ Era Beach by Jetwing

バワ建築。8室しかない小さなホテルです。

南ではなにも予定を立てていなかったので、朝から母とローカルのアーユルヴェーダマッサージへ。
そして午後からは父もいっしょにゴールの旧市街地へ。
夕方には少し晴れて、暑くもなく寒くもなくちょうどいい気候でした。


ついでにお土産もBarefootでお買い上げ。買い方がとても豪快で、「こんなに気持ちよく買い物したら、そら日本人は金持ちっていわれるやろなぁ」と思ったわたしは十分にこの国の金銭感覚に慣れてしまったようです。帰国したら何にも買えない気がする。

最後の日は朝から雨。

久しぶりに見たざーざー降り。
最後くらいプールで泳ぎたい!と思ってたのに…ちーん。残念。
チェックアウトまで部屋でゆっくりして、思う存分パッキングしてもらい、ゆっくりとコロンボへ向かいました。

コロンボでも残りの買い物を。お茶にカレーセット。ここでもバシバシ買って行かれました。

そして最後の晩餐は…日本料理やさんへ。
もう疲れた…という言葉に、さいごはおいしいカレーで締めようと思っていたわたしも同意しました。そりゃおいしいわ。
知ってる味に安心感。顔がほっとしてました。
そして最後はいちおうありがとう、とお礼のことばをいただきました。

空港で最後のショット。笑ってるのでよかったです。
1週間の滞在、慣れない土地で疲れたことだと思います。
ありがとう、おとうさんおかあさん。

あと90日くらいで帰国です。